お味噌の歴史
味噌のルーツは古代中国の食品『
醤
』や『
豉
』とされています。『醤』とは鳥獣の
肉や魚を雑穀、麹、塩と漬け込んだ今の『魚醤油』に近い食品です。『 豉 』は大豆
と塩を発酵させた今の『大徳寺納豆』のような食品です。
肉や魚を雑穀、麹、塩と漬け込んだ今の『魚醤油』に近い食品です。『 豉 』は大豆
と塩を発酵させた今の『大徳寺納豆』のような食品です。
これらの食品は焼く
1300
年前に朝鮮を経由して日本に伝えられたと考えられてい
ます。一方、日本にも縄文時代から木の実を使った発酵食品があり、両者が次第
に融合し、『 未醤 』と称するわが国独自の大豆発酵食品が誕生したのです。そして、
平安時代には現在の「味噌」と言う字が使われるようになりました。しかし、まだこの
頃の味噌は上流階級しか口に出来ない高級品でした。
ます。一方、日本にも縄文時代から木の実を使った発酵食品があり、両者が次第
に融合し、『 未醤 』と称するわが国独自の大豆発酵食品が誕生したのです。そして、
平安時代には現在の「味噌」と言う字が使われるようになりました。しかし、まだこの
頃の味噌は上流階級しか口に出来ない高級品でした。
そんな味噌が飛躍的に発達・普及するのは戦国時代以降です。
当時、味噌は調味料であると同時に貴重なたんぱく源でした。そこで各地の武将は
味噌づくりを奨励し、原料や製法などにも盛んに改良が加えられたのです。 尾張の
織田信長、豊臣秀吉、三河の徳川家康、甲斐の武田信玄、仙台の伊達政宗など各将
の故郷の多くが味噌の産地なのも偶然ではないでしょう。
味噌づくりを奨励し、原料や製法などにも盛んに改良が加えられたのです。 尾張の
織田信長、豊臣秀吉、三河の徳川家康、甲斐の武田信玄、仙台の伊達政宗など各将
の故郷の多くが味噌の産地なのも偶然ではないでしょう。
また、味噌自体の進化と共に料理法も発達し、大半の味噌料理の基盤はこの頃に出来
上がりました。
室町時代末期から江戸時代には庶民の生活にも味噌が浸透し、江戸時代後期には現代
とほぼ同じ醸造法が完成します。こうして味噌は日本人の食文化に不可欠な存在となった
のです。
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